金八先生で嫌いなキャラがいます!
田中祐一です。
さて、、、
先日のメルマガでは
<引きこもり・オタクの逆襲>
というテーマで書きました。
まだ見ていない人はバックナンバーから見てください。
→ https://swmclub.com/archives/2088
さて、、、
現在のビジネス講座の運営スタイルがどのように構築されていったのか?
その原点は中学生に戻ります。
<引きこもり・オタクの始まり>
ですね。
こういうネタを話すと
「今の田中さんから想像できん! 😯 」
と言われたりしますが、基本的に友達がいなくて、
女性とも話せなくて、ゲームっ子でした。
中学生といえば、多感な時代であり、出来事に敏感に反応してしまいますよね?
僕は金八先生に出てくる
学ランの中に、「赤」「青」「黄」
のTシャツを来ているような人たちが嫌いです。
わかりますかね?
「赤」「青」「黄」のうち、1人はジャニーズJr.が担当しています。
僕は中学生カーストで言えば ”モブ” つまり、目立たないやつです。
学ランの中に、「赤」「青」「黄」を着ている彼らは自己主張が強く
まさに ”いじめ” をしてくる人たちが嫌いなのです。
僕は自分のストーリーにもよく書いていますが、極度の運動音痴です。
中学生は勉強のできるやつより、スポーツのできるやつのほうがモテます。
僕は、当然モテません。
女性と目があっただけで当時は全身が硬直し、
全身から湯気がでるほど、顔も赤面するようなタイプ。
むしろ、いじめの対象です。
ドラゴンボールで言えば、
戦闘力5の農民です。
いつも”もじもじ”しているので、いつの間にか ”サッカー部” に目をつけられました。
ある日、チャリでシャカシャカ帰っていると、サッカー部に取り囲まれ、
「おう、田中。500円貸してくれ~」
と言われて500円貸したり・・・(返ってはきません)
なぜか学校で内履きがなくなってしまったり….
自転車のタイヤを直したばかりなのに画鋲で穴を開けられたり….
全校朝会のときに皆の前でグーパンを顔にさせられ….
足で蹴られ、踏まれの制服が内履きのあとだらけに
なったりした時代がありました。
授業で先生が黒板を書く度に消しゴムのカスが後ろから投げてこれら、
それに授業中ずーーーーーーっと耐えるような感じ。
僕はテニス部でしたが、徐々にテニス部の友人も
…僕と一緒に登下校してくれなくなりました。
厄介な腫れ物なんでしょうね。
当時の僕には抗う勇気もなかった・・・。
色んな扱いに日々耐える中、
僕の友達は
ゲーム機である
「ニンテンドー64」と
「プレイステーション」だけでした。
毎日、数時間ずーっとゲームをやっていて、1つのゲームを300時間以上
プレイしたものもあります。
僕の心の中でその時から思っていることがありました。
「もっと、みんなを繋げて仲良くさせてくれる人がいたらいいのに・・・」
と・・・
僕は自分から主張できないタイプなのでもっと仕組みで全体を見て、
仲良くさせてくれるような、そんな人がいたら
僕も学校生活楽しめるのになぁ、、、
って常々思っていました。
ここが僕の今のビジネス講座運営につながる原点です。
それでも、最後まで中学生生活を全うできたのは、
テニス部の仲間がいたからですね。
一緒には通学してくれませんでしたが、
最後まで部活の仲間として仲良くできたと思っています。
卒業する前の進路、僕はサッカー部の人たちと同じ方向に通いたくない・・・
そう思っていました。
だから高校は1人だけ皆と反対方向に通うことにしました。
親に相談しました。
新しい土地で新しくやり直したいと。
僕の中学校は新潟市になるので、通える高校はたくさんありました。
ですが、
僕だけは、みんなと反対方向の高校を選んだのです。
通学時間は自転車で100分。
でも過去の自分と決別するため、
誰もいない高校を選んだのです。
あ、高校1年生から原チャリの免許をとって、バイクで通いました 😆
バイクだと実家からだと30分ちょっと。近いものです。
冬は雪が凄くて通えないので、下宿していました。
知らないおばちゃんと一緒に住んで、でも最早一人暮らしみたいなもんでした。
高校では “いじめ” はなくなったものの、自分自体が変わっていないので、
”モブ” キャラは変わりなく(汗)
淡々と過ごし
人生が変わったのは大学時代でした!
ということで次回は
現在の価値観を大きく作り上げた
大学時代の話をしようと思います。
PS.
自分の子供がゲーム三昧で将来を心配しているお母さんへ。
田中がゲーマーですが、なんとか育っているので
安心してゲームさせてください^^
PS.2
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